【ヒプノシス】トークショー・レポートです
先日のこと。
ヒプノシスのメンバー、
オーブリー・パウエルのサイン会に行ってきたのは、
前述した通りです。
その際、トークショーが行われました。
メモってきたので、ご報告します。
少々、長くなりますが…………。
まずは、「ヒプノシス」について、おさらいからはじめましょう。
ヒプノシスとは、
1968年に結成されたイギリスのデザイン・グループです。
ストーム・ソーガソンさん(中心人物のひとり)、
オーブリー・パウエルさん(今回、来日したおじさん)、
ピーター・クリストファーソン(後期ヒプノシスのメンバー)。
1970年代を中心にピンク・フロイド、ジェネシス、レッド・ツェッペリンと言った数々のアーティストのアルバム・ジャケットを手掛けたひとたちです。
以下、
渋谷。タワーレコードで行われたトークショーです。
今回は、ザ・フーのライブにおいて、
流す映像を作った関係で、来日したオーブリーおじさん。
総勢、100人ぐらいはいたのでしょうか?
7階の本屋さんエリアで、行われました。
マニアっぽいおじさん連中も、もちろん多かったですが、
若い女の子や、
外人さんなんかも見受けました。一言でいえば、
オーブリーさんは、“いい人”でした。
しかしながら、自著「利きジャケ」を、突きつける勇気は、
さすがになかったです。
ってなわけで、
オーブリーおじさんの「ちょっといい話」を、…………どうぞ!
@@@@@@@@@@@@
●成功に関する三つの秘訣とは……
「よく聞かれることに、
ボクらの“成功の秘訣”がある。それは三つあると、ボクは答える。
まず第一に、誰を知っているか……だ。
そして、つぎにほんの少しの才能、
最後にコトが起きるときにその場にいること。
その三つが重要なんだよ」
「当時、ボクらは、ランダムハウス(出版社)で、
絵本の装丁なんかをやっていたんだ。
たまたまピンクフロイドの連中が、アルバムジャケットのデザインを、
やらないか……と言ってくれたんだ。
ボクらは、彼らを知っていた。
それがつまり、第一の成功の秘訣だったのさ」
「ストームと、ボクと、ピンクフロイドのシド・バレットは、
同じ学校の同級生だったんだ。
ボクは写真の勉強をしていた。
ストームは映画の勉強をしていた。
ボクらは、シュールレアリズムが好きで、
ともにマン・レイやら、マグリットが好きだったんだ。
それはいまでも、ボクらのバックボーンになっていると思うよ。
僕とストームが組むことで、実にうまくいったのさ。
……僕らには、ほんの少しの才能があったというわけ。
これが第二の成功の秘訣」
「当時、ボクらが住んでいたサウスケンジントンのアパートには、
ピンクフロイドや、ドノヴァン(吟遊詩人)やら、
たくさんのアーティストが 集まってきてた。
1967年頃からはじまり、
1970年代に全世界を席巻したサイケデリックムーブメント。
僕らヒプノシスは、
サイケデリック革命の、まさに渦の真ん中にいたんだよ。
そう、
コトが起きるときに、ボクらはその場にいたってわけさ。
つまり、これが第三の成功の秘訣……ってことだね」
● デザイン集団「ヒプノシス」について
「ボクら三人が中心人物ではあったけど、
最多で言えば、
スタッフも含めて、20人ぐらいいたときがあった」
「ストームがアイデアを出して、ボク(オーブリー)が写真を撮る。
それがボクらの役割だった。
週に一回、朝の四時ぐらいまで、
たくさんのアイデアを出し合うんだぜ。
ヒプノシスの作品は、
バンドに合わせて……というよりも、
自分たちのオリジナルイメージが、まず、ありきなんだ。
だから、たくさんのイメージを出すのさ」
「イメージを実践することは、すごくワクワクすることだ」
「ユーモアが大事。見た人が、
色んなイメージをそれぞれ持ってもらうのがいい。
まずは、見る人をびっくりさせたいんだ」
● スコーピオンズの「Love Drive」のジャケについて。
どうやって撮ったの? 写真? CG?
「写真だよ。本物にチューインガムをつけて撮ったのさ(笑)
誰だって、男なら、ああいう欲望があるはずだろ?」
● ポール・マッカートニーとの仕事
「最初、ポールから話があったとき、
ボクらは、びっくりしたし、実に喜んだ。
だって、あのビートルズだぜ!
ポールは……、なんというか…………
“アイデアマン”さ。自分で、アイデアをいろいろ出してくる。
ウイングスのBand On The Run。
あれがポールとの最初の仕事さ。アイデアはポールが出した。
それをまとめ上げたのはボクだけど、
実は、写真はボクが撮ってはいないんだ。
でも、あれはいい作品だった。
それで気に入られて11年間、一緒に仕事をした。
で、
最後は……………………殴り合いの喧嘩をして別れたんだけどね(笑)。
London Townのジャケ写はボクが撮ったものだけど、
正直出来は良くないよ(苦笑)
だけど、誰だって、すべてが完璧じゃない。
自分の作品で、今見るとちょっと恥ずかしいモノってない?(笑)。
誰だって、そういう経験あるだろ?
そうして、人は学習していくのさ(笑)」
● 原子心母のジャケを牛にした理由
「あれはタイトルだけをピンクフロイドから言われて、
音も聞かずに12枚ほど候補を出したんだ。
たまたま、ボクが撮っていた牛の写真があって、
メンバーが、“これだ!”と言う事になって決まったんだ。
レコード会社からは、ずいぶん眉をひそめられたね。
だって、アルバムなのに、タイトルもなにもない、
牛だけだからね(笑)」
●パンクについて
「1976年、実はヒプノシスのスタジオがあったすぐ裏に、
マルコムマクラーレンの事務所があったんだ。
当時、セックスピストルズの連中なんかが出入りするようになっていた。
最初は良い子たちだと思っていたんだが、
次第にツバを吐いたり問題を起こし始めた。
そんな中
ジョニーロットンが着てたTシャツに、とある文字が書いてあったんだ。
……I hate pink floyd(ピンクフロイドなんて大嫌い!)。
まいったね(笑)」
●もうひとりのメンバー。ピーター・クリストファーソンについて
いまでも仲がいいよ。
彼は、アナーキストなのさ(笑)。
後期ヒプノシスのメンバーとしても、
サイキックTVのメンバーとしても、彼の活躍は素晴らしい。
じつは、今回の写真集にも何か書いてくれと依頼したんだが
「俺はそんなことできない」と言われたんだ。彼らしいよ。
なんてったって、アナーキストだからね(笑)」
● 今後のアルバムジャケット文化について。
そして、若い世代へのメッセージ。
「ボクは、20年後が楽しみなんだ。本当にわくわくするよ。
果たして……、
かつて、ボクらが経験したような、
アルバムジャケットのムーブメントが、
これから、またおこるとは確かに思わない。
アルバムジャケットの役割は、今後、どんどん変わっていくだろう。
デザインワークに関しては、激動の時代が来るだろう。
けれども、
“ビジュアルイメージ”というものと、
“音楽”は、ともに歩んできた。
それは音楽にとって重要なモノだったし、
これからも重要であることは変わらないと思う。
今後、音楽と、どのような関連性をもっていくか……
それは“君たち”若い世代にかかっている。
がんばってくれたまえ。
20年後が、…………本当に楽しみだよ(笑)」
● 写真集にサインをもらったとき。
to vincent って書いてもらったとき……。
「おぉ! ヴィンセント!
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホかい?!」
サンキュー!
オーブリーおじさん。
実に……職人的な方でした。
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コメント
乙です。マン・レイなどの影響があったてのは、ナルホド!って感じです。
う~行きたかったな~
OTL
投稿: aniki01 | 2008.12.01 22:17
良いストライカーも、何故かその場にいるんだよね。
だけど、いくらその場にいても、
他の10人に信頼&認められていていないと、ボールは来ないと思う。
なぁ~んて言っていても、
[ほんの少しの才能]も持合わせていないから、
私は私がしなくてはいけない事をするよ。(^^♪
投稿: もっちゃん | 2008.12.05 23:49